《平戸町開拓期》 1972年4月~1983年11月

1972年4月
 伊東宏明師、伊東博子師は横浜市戸塚区内の開拓伝道の任命を受ける。
1972年5月
 戸塚区平戸町に2階建ての民家を借家契約する。
白幡神社境内の地続きだが、旧国道1号線沿いでバス停も至近。隣接の公民館もクリスマス祝会やバザー等のイベントに利用でき道案内もし易い立地条件にあった。
平戸町は保土ケ谷区、南区、港南区に接しており開拓期の宣教拠点として最善だった。
古い家屋の大改装工事と、広域トラクト配布作戦は教団主導の募金計画や川崎、川崎南部、横浜港南の各教会の教役者・教会員の大挙応援によって強力に推し進められた。
1972年9月17日
 開堂礼拝(30人席)

 平戸町時代に派遣された献身生は西山政江、高橋富三、石橋政勝、阿部和子の諸師。

《前田町移転期》 1982年6月~1999年6月

1982年6月
church-history-01 借家の10年契約の区切りに移転計画を立て、教団レベルで趣意書を発行すると共にフレズノ基金融資を受け105坪3,000万円で現在地に土地を取得する。
1983年11月23日
 プレハプ構造の会堂上棟
1983年12月
 クリスマス開堂礼拝(80人席)
鉄骨工事、水道設備、ガス設備以外は建築業者を頼まず教会員総出で建築工事に携わる。
総理シェルホン師をはじめ関東教区ばかりか地方教会の先生、兄弟姉妹も工事に参加してくださった。
1984年4月
 高橋京太兄献身・聖宣神学院入学
1985年4月
 伊東香織姉献身・東京基督教短期大学入学
1985年10月
 ジャニス・ウィスナー宣教師就任
1985年11月4日
church-history-02 建築工事は完了していていなかったが献堂式を行う
1987年9月
 ジャニス・ウィスナー師退団
1989年4月
 伊東香織姉・東京聖書学院入学
1991年4月
 伊東献仁兄・東京聖書学院入学
1992年4月
 伊東香織伝道師任命
1994年3月
 伊東香織師、及川恭顕師と結婚
1994年4月
 伊東献仁牧師任命
1997年5月
 伊東献仁師、西本美穂師と結婚
1998年4月
 伊東美穂伝道師任命

 前田町移転後に派遣された献身生は田子正義、関昌宏、笠間典子、伊東香織の諸師。

《新会堂建設期》 1999年6月~現在

1997年1月
church-history-03 25周年記念計画として会堂の移転計画を立て、教団レベルで趣意書を発行する。
用地買収契約直前に売主側に問題が起こり、移転計画は断念。
現在地に地下2階、地上2階の礼拝堂と牧師住宅を建設することに計画を変更した。
今回は松ノ井建築設計事務所とペテロ建設に依頼した。
地域に開かれた教会のイメージでバリアフリーの理念によりエレベーターと身障者用トイレを備え、靴のまま入れる会堂にした。
1999年6月
 旧会堂解体工事開始
1999年8月
 解体資材を酒田キャンプ場に移送
2000年4月30日
 開堂礼拝
2000年7月20日
 献堂式(100人席)
2001年6月
 地下部分を有効利用して牧師住居を増築。工事は木村工務店に依頼した。

《現況と将来の展望》 2001年 記

church-history-05

開拓から29年間の受洗者は65名。その中から召天者・転出者等が35名あり、在籍者は30名。その他、転入会者30名。
客会員、準会員等が20名程の教会として、地域の宣教活動に心を一つに合わせて励んでいる。
2002年9月に30周年を迎えるが、開拓期の精神を堅持しつつ家族伝道、弟子訓練に重点を置き、更に多くの宣教者を生み出していきたい。

《成熟を目指して》 2002年9月 創立30周年記念誌より

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

(歴代誌 4章 10節)

教会創立30年、主イエスが公のご生涯に立たれた歳であることを覚えて大きな成長を祈らずにはいられない心境です。ソロモンは富と繁栄を求めず知恵を求めてその祈りは聞かれましたが、ヤベツは[地境・国境・領土]の拡張を願い求め、繁栄と、御手の力と、悲しみからの自由、安全と平安を求めて聞かれた人物です。彼の名は[彼は苦痛を与える・作る(直訳)]との意味でしたが、信仰がその名の暗示に打ち勝ったので特に注目されました。

主の教会は、この世で患難に遭いながらも勝利と平安が約束されており、主の御名によって祈るならば喜びに満ちたものとなる、とも約束されています(ヨハネ16章 24、33節)。教会の30年の歩みは、その約束の確認の連続であったと言わなければなりません。

1972年4月に戸塚方面開拓伝道の任命を受け、アブラハムのように、「どこに行くかを知らないで」集会が出来そうな空き家を捜して、戸塚駅から保土ケ谷方面にむけて旧国道一号線沿いを何日も歩きまわりました。そこに始まって今日に至るまで、実に、スリルに満ちた30年であったことか、と只々、祈りを聞きたもう憐れみの主に感謝と賛美をささげるのみです。

開拓の年、戸塚ルーテル教会の幼稚園に長女と長男を入れて戴きました。バイト生活では月謝が払えるか心配で、一人だけか二人かと思案していたのでしたが、開拓教会の子供であるとの特別なご配慮で月謝を全額免除してくださいました。そして、今年、その長男の子供が同幼稚園に入園させて戴きました(牧師の子供ということで月謝も少し割引してくださいました)。ここに30年のステップを見ます。世代が代わって、今こそ、21世紀に相応しい教会の成長・成熟が求められているように思えるのです。

各教会の歴史には、会堂建設や組織の充実に精力を注ぐ時期があります。しかし、主が、神の国の到来と悔い改めの福音を宣べ伝えられた原点にかえって、九十九匹の迷える羊を追い求め、教会ぐるみ宣教の山野に出て行く時ではないでしょうか。日本のクリスチャン人口は1%未満と言われて何十年も経ちました。「全世界に出て行き……」との至上命令を空しくしないために、神の国の領地拡大を大胆に祈れる者でありたいのです。同胞を罪の奴隷状態・永遠の滅亡という最悪の災いから免れさせ、主の御許に導くことができるように、《私》を《教会》に置き換え、ヤベツの祈りを捧げましょう。

伊東 宏明

church-history-07
(左から)故レイモンド・シェルホン先生、美智子シェルホン先生、伊東献仁先生、伊東美穂先生、伊東博子先生、伊東宏明先生


チャーチ・オブ・ゴッド(C.O.G.)名誉総理 故レイモンド・シェルホン

レイモンド・シェルホン

Rシェルホン師略歴

1927年12月11日米国オハイオ州メダイナ市で誕生。
1946年6月(18歳6月)米国陸軍に入隊。同年10月横浜港に上陸。同年11月横浜の軍隊基地内の伝道集会で信仰決断。
1947年10月27日横浜港からの帰国の船中で日本宣教の召命を受ける(19歳)
1948年9月ホーリネス系の聖書学校に入学。
1949年11月陸軍に再入隊。
1950年2月4日、日本再入国。6月朝鮮戦争従軍。
1951年7月、日本に帰還。
同年8月26日(日)に川崎米語学校の一室で最初の礼拝が行われた。その日をRシェルホン師の働きの起点として、後にCOG最初の礼拝の日として定めた。
以来R・S師の宣教師として日本での働きは52年5ヶ月に及び、最初、陸軍兵士として横浜に上陸して以来56年余の歳月日本との係わりをもたれた。
伊東との係わりは1955年8月以来であった。